親愛なるソウルメイトたちへ
美しい女性の夢を見た。
1950年頃の、パリ。
真っ赤な革靴。
グレーに白黒のチェック柄のワンピース。
真紅のルージュが、真っ白な肌に映える。
20代後半。
名前は、エミリー。
パリの街角に佇み
誰かを待っている様子だけれど、クールな表情。
やがて一台の乗用車が止まり、助手席に乗り込む。
着いたところは、高級アパルトマンの一室。
エミリーは、愛人に、この家をあてがわれていた。
品の良い調度品や、美術品に囲まれた部屋で、
裕福な愛人と過ごす時間。
エミリーはこの関係に満たされていた。
二回りも歳が離れた愛人は、優しく寛容だった。
知的なエミリーは、経営者であった彼の
良き話し相手でもあり、
芸術や観劇、歴史や政治の話もたくさんした。
彼との結婚を望んだことはないが、
心身ともに、愛し愛されている実感があった。
それでも、ふとしたときに、頭をよぎる疑問があった。
"私の体も心も、この人を愛している。
だけど、あなたの魂は、彼を愛しているの?"
「私の魂が、愛している人...」
その声に耳を塞ぐように、エミリーは、
午後のパリを、よくひとりで散歩した。
散歩中、セーヌ川沿いの小道でギターを弾き歌う
青年を見かけるようになった。
エミリーと同い年くらいの彼は
石畳の道端にあぐらをかいて
古びたギターを抱え、愛おしそうに奏でた。
目を閉じたり、空を見上げたりして歌う姿に
エミリーは惹きつけられ、
足を止めて聞き入った。
ある日エミリーは、彼に話しかけた。
「いつも、素敵な音楽を、ありがとう」
彼は笑顔でエミリーを見上げた。
「いつも、ここを通るよね」
彼の瞳の、奥の光、
それはほんの一瞬だったけれど、
「私の魂が、愛している人」...
急に怖くなり、
エミリーは視線を逸らした。
彼の質素な服装と、
小銭がパラパラ溜まっている
ギターケースが目に入った。
住む世界が、違う人。
「さようなら」と笑顔で
エミリーはアパルトマンに帰っていく。
それでも数日すると
彼の声と笑顔が恋しくて、
セーヌ川のほとりを訪ねていく。
エミリーを見つけると彼は微笑み
手招きした。
隣にしゃがもうとすると
「ドレスが汚れてしまう」と、
石垣の上を手で払い、そこに座らせた。
「君の歌をつくったよ」とささやいて、
彼は小さなワルツを披露した。
優しくて、セクシーで、何かを思い出しそうになる
メロディだった。
「歌詞を、まだ、書いている途中なんだ...
完成したら、聞いてほしい」と、彼は微笑んだ。
エミリーの鼻の奥がつんとした。涙が溢れ出す前に、
「ありがとう。また来るわ」と、立ち上がった。
数日後、エミリーは、愛人の車に乗っていた。
今日からしばらく、海辺の別荘で過ごすのだ。
「パリとは、しばしお別れね」と呟き
街並みを眺めた。
ふと見ると、あのギター弾きの彼がいた。
いつもの場所に、座っていた。
助手席のエミリーと目があった。
そのとき、車が止まった。目の前の道を、
痩せた野良犬がのろのろと横切っていた。
彼はギターをおろして、立ち上がった。
口を半開きにして、細めた目が、
泣きそうにも、怒っているようにも見えた。
彼のところに行きたい。
豪華な休暇なんていらない。
小さなワルツを、聞かせて。
車のドアに手を伸ばした瞬間、
車はゆっくり動き出した。
立ち尽くす彼の姿が、後ろに流れていく。
エミリーは、目を閉じた。
もう、何も感じなくていいように。
彼の姿を見たのは、それが最後だった。
数十年のときが過ぎ、エミリーは、
妹に見守られ、この世から旅立った。
その数ヶ月前に、エミリーは
セーヌ川の彼に向けて手紙を書いていた。
投函されず、家の奥に仕舞われたその手紙は、
エミリーが去ったあと、妹によって発見され、
半年かけて、どうにか、彼のもとに届けられた。
あなたの歌を楽しみにしていたこと。
あなたを忘れた日は、1日もなかったこと。
あなたを、ずっと愛していたこと。
大粒の涙が、音を立てて、便箋を濡らした。
彼は、奏で、そして歌った。
目を閉じて、空を見上げて。
聞き手のいない、小さなワルツを。
(後編に続きます)
かけがえのないあなたに、ありがとう∞
美和